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志乃ちゃんは自分の名前が言えないがおすすめの人
- 吃音や声が震えることに悩んでいる人
- 人に理解されにくい苦しみを抱えている人
- キャラの苦悩が自分ごとのように伝わる作品を探している
今回はレビューの前に私の話をしたい。私は学校で教科書を読むよう、教師に指されることが大嫌いだった。理由は、音読していると声が震えて読めなくなるから。
本作のテーマは、吃音と言って声が全く出なくなる状態を扱っている。この吃音と私の声の震えは別ではあるものの、とても他人事に思えなかった。理解されにくく当事者には地獄なのである。
主人公の志乃を通して考えさせられると共に、ようやくこの手の悩みが広く人に伝わる時が来たのかと。漫画を読んだ時には小さな希望を抱いた。今悩んでいる人にこそ届くべき作品。
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」のストーリー
主人公・大島志乃は、特定の条件において、声を発することが苦手な高校1年生の女の子。入学したばかりの学校で、自己紹介の際に声が発せず、周りに笑われてしまう。
彼女の吃音に苦悩する姿や、吃音に向き合う過程を描いた作品。
ただし、「吃音」という症状名は作中で使われない。作者である押見氏もまた、吃音に悩んでいた一人であるため、「症状を持つがゆえの問題」と捉えて欲しくない考えの元に描かれた。
当事者だからこそ描けた地獄の視点
©志乃ちゃんは自分の名前が言えない 太田出版
「吃音」や「声の震え」に悩む人に読んで欲しい理由として、志乃の視点がよく出来ている点だ。声を発しないといけない場面における極度の緊張感(地獄)が秀逸。
冒頭で志乃が自己紹介をする場面が出てくる。ここで教師、生徒といった周りの目はもちろんのこと、志乃自身に順番が回ってくるまでの「時間」も的確に描写されていた。
極度の緊張を抱えているため、周りの自己紹介を聞く余裕などない。誰かが何かを話しているということだけは分かるが、志乃に取ってはもはや自分のことで精一杯。
私自身も声の震えで、教師から音読をさせられる際、全く同じことが起こっていたんだよなと。漫画だからオーバー表現に見えるかもしれないが、まさにこれが悩む人たちの地獄の視点。
当事者が実際に体験していないと、ここまで忠実に描けることはない。そう思わせるだけの切迫感が作中から幾度となく見られた。
どのように志乃は「吃音」に向き合ったか【ネタばれ】
相当昔に漫画喫茶で読んだ「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」がどうしても読み返したくなって、結局買ってしまった。今読んでもやっぱり良いな。自己受容がまず大切な一歩目なんだよっていうのをこうも分かりやすく描いた作品ってのもなかなか無いと思う。
— 職人 (@1220my_st) September 23, 2015
吃音が主題テーマのため、作品としての答えは出る。ただ、このラストに向けても安易な解決に走らなかったのが本作を評価すべきところ。
「こうすれば吃音は治ります」という対策があるならそもそも誰も悩まない。この対策がないことで、当事者たちは苦しみ続けているわけだ。
「解決方法がないなら、結局はこのまま悩むしかないのか」と思うかもしれない。そこで出てくる答えは、当事者だった押見氏らしいラスト。
それは「吃音症も含めてこれが私なんだ」という志乃の姿勢である。つまり、ありのままを受け入れる選択をとった。
当事者たちにとっては治したい思いが強いのは事実。でも「吃音でいることが悪い」という考えから来ているのも事実で、これは私にも刺さるところがあった。私も、声の震えが悪いことだと思っていたからだ。
もしも、「声の震えもOKだよね」という考え方が出来ていたら。かなり違っていたのではないかと思わされる。
ありのままという話になると、結局そういうオチかと思われそうだが。私を含めて、この手の問題に悩む人ほど自己受容が必要だ。
漫画から届くメッセージ。どう受け止めるかはあなた次第。悩んでいる人には、解決にはならずとも「緩和ヒント」が詰まった作品として推したい。
※ネタばれで書いたが、ラストに至るまでの「過程」を読まないと本作の結論にたどり着けないので、一読の価値は十分にある。